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教育エッセイ−ANJの樹

 
 
 
第1回
 
小さい頃はほとんど差がないと思っていたのに、中学生になると「学力」の差が非常に大きくなっているということは良くあります。人間的な能力、たとえば、人と協力する能力とか、友達を作る能力とか、運動神経とか、美しいものを美しいと感じる能力や、人を笑わせる力などでは学力と違って序列をつけられることはありません。しかし、生きていく上では、これらの能力もみな重要で、人間関係にとって役立つ能力です。
しかし、「学力」は今の子どもたちにとって異常に大きな意味を付与されています。この学力差が文字通り人生のコースを左右するほどの意味を持たされています。これほど大きな意味を持たされている学力の差はどうして生じるのでしょうか。脳細胞の数は誰でも使いきれないほど持っているのですが、これをどれだけ有効に活用するかが勝敗の分かれ目なのです。とくに「学力」につながる脳の活性化は「集中力」の有無に深く関係しています。この集中力こそが、学力を高める最も大切な要素です。よく見かける風景ですが、「勉強しなさい!」という命令で渋々机に向かっているが、頭の中は別のことが行ったり来たりしている。落ち着かない。そこで音楽を聞きたくなったり、マンガを読んでみたり、人の話に聞き耳を立てたり、冷蔵庫をのぞいてつまみ食いをしたり、すぐにトイレに行きたくなったり、等々、勉強の方は1ページも進まないのに時間だけが過ぎていく、といった状況があります。このようにまったく集中できない子は、学力が低下するのは当然です。机の前にいても、頭の方は勉強を受け入れようとしていないからです。
昔から、天才的な人の集中力の凄さを伝えるエピソードはたくさんあります。考えに没頭していると食事も睡眠も忘れるといった話をよく聞かされました。これほどでないまでも、せめて1時間や2時間、集中力が持続すればどれだけ多くのことが出来るかは、想像がつくことです。ところが、たったの10分や15分も集中できない子が多いのです。
砂時計は真ん中がくびれて細くなっています。この細くくびれた穴から少しずつ砂を通す仕掛けになっています。人間の脳の受け入れ口も、この砂時計のネックのように細くなっているとなかなか下にたまりません。外のいろんな情報を知識として蓄えるには、砂時計のような細い通路ではなくて、もっと太い通路でないと多くのことを短時間で蓄えられません。人間の脳も通路をせまく閉ざした人や、通路の太い人がいます。受け入れ口がせまいと、2時間も3時間もかかってわずかなことしか脳にたまりません。通路の広い人はどんどん脳が受け入れていきます。この差は実に大きな差になっていきます。脳への通路を大きく開けて、どんどん新しいことを吸収できる条件を作らなければなりません。通路を大きく開くのは、そのことに集中し全神経をそこに注ぐからです。
ところが、親が子どもの脳の通路を閉ざすことに手を貸しているのをよく見かけます。親御さんとしては、よいと思ってしていることでしょうが、結果はますます悪くなっていくようなことを平気で行っているのをよく見かけます。困ったことです。
「心が閉じると頭も閉じる」という関係があります。ところが、頭も心も閉ざすように仕向けたうえで、「勉強しなさい、勉強しなさい」と言い続けているような親御さんが意外に多いのです。
心を閉ざし頭を閉ざすのは、「命令」「脅迫」「強制」によることが多いと考えられています。「命令」は「勉強しなさい」「早く宿題をすませなさい」「ぐすぐすしないでさっさとやりなさい」といったやらせようとする命令と、「だめ!」「してはいけません」「やめなさい」といった禁止命令があります。親に命令ばかりされている子は、ますます命令を聞かなくなります。そして、命令されないと動かないようにもなります。さらに、命令しても子どもが聞かなくなると、脅迫をはじめます。「○○を買ってあげない」「□□へお前だけ連れて行かない」「お父さんに言いつける」「おこずかいをやらない」「そんなことでは○○君に負けるよ」「高校へ行けないよ」等々、子どもが困ることを持ち出して脅しつけます。
さらに、その上は、無理矢理従わせようとする「強制」になります。これは、暴力に訴えることや、力づくで何かをやらせようとしたり、子どもに致命的な屈辱感を与えた上で屈服させることになります。これは、単に肉体的な暴力だけでなく、言葉による暴力も含まれるでしょう。たとえば「馬鹿」とか「お前なんかいないほうがいいよ」といった存在を否定する言葉で子どもに打撃を与えることです。とくに今の子どもは、昔の子のように忍耐強くありませんので、親が考えている以上に打撃になっている場合も多いように思われます。
こうしたやり方は、大人と子どもが対等の立場ではなく、主従関係のような上下関係であるということが前提になっています。親の言うことを聞くのが当然だという親の一方的な思いです。しかし子どもにも(どんな幼い子でも)プライドがあり、自分のことは自分で決めたいと思う気持ちを持っています。あれもしたい、これもしたいと思う子どもの自発的な意志を、毎日毎日押しつぶしていくと、いらいらした落ち着きのない子になっていきます。そして、親に怒られないか、また怒鳴られるのではないか、といった不安の中で暮らすようになります。こういう子が中学生以上になると,大人を信用しない難しい状態になりがちです。(もちろん本当は両親のことが大好きなのですが・・・。親はそれにも気づきません。)
命令と脅しによっていつも脅かされている子どもたちは、まったく集中力が育ちません。したがって、頭に知識や考える習慣が蓄えられなくなります。(次号へつづく)

第2回

 

私は、学力というものは「気力の充実」なしには向上しない、と思っております。
自ら学びたい、成長したいといういわば向上心は「もっとやれる・まだいける」といったたくましい「気力の充実」が必ず存在してこそ成り立つものと考えております。
一人一人の「気力の充実」を目指すことは、学力向上だけでなく、その充実した気力によるスポンジのような吸収力により、運動であれ何であれ、様々な分野の向上につながるものと思っております。
それではその「気力の充実」を目指すということですが、これは精神上の問題なので、公式や一つの答えがあるわけではございません。しかし一つはっきり言えることは、まぎれもなくその「気力の充実」の源は「生活」にあるということではないでしょうか。これはまず間違いないところであると思います。さらに特に基礎形成期である小学生年代での生活の在り方とその親の存在感は非常に大切な要素を含むと言えるでしょう。
まず私が思う大切な生活の在り方(13,14才以下の子には特に大切と思われるのですが)を、ここには多く書ききれませんが、以下に補足と共に列挙させていただきます。
まず、子供の就寝時刻を厳守させる。
たしかに現代の母親の夜の忙しさといったら大変なものだと思います。遅い父親の帰宅に合わせて夕食を二度準備したり、子供の塾の送迎、祖父母の世話もあるでしょう。昼間の仕事やパートの疲れもあるでしょうし、時間的精神的余裕がなくなり、疲れもたまりやすくなるのではと思います。朝の起床も遅くなりがちで朝食の準備のゆとりもなくなることがあるかもしれません。
一定の睡眠時間と早起きを必要とするはずの子供が、親と一緒にずるずる起きている場合も増え、あげくのはてに子供が家族で最も朝が弱いといったことまで起こってきています。これはたいへんなことです。自立した生活の基礎はまず自分で起きること。その生活力の獲得は、必ず一事が万事すべてに結びついてくるはずです。

中学生になると、テスト前くらいは一応みんな勉強はします。しかし成績はと言うと周知のとおり千差万別であります。その成績のバラツキは言ってしまえば集中力の差ということになります。ではその集中力の差はどこからくるのでしょう。
それには様々な要因が絡むと思われます。しかし、小学校の頃からの基礎的な生活習慣がきちんと出来ているかどうかということも大切な要因の一つであると思っております。
学習における辛抱強さや集中力を支えているのは、食事や睡眠時間などの生活習慣だと断言してもいいほどです。例えばたかが朝食のことでも、きちんと取ることは絶対だと思っています。

さて、私の塾の大きな特長として、長年この仕事をしてきた中で本当に多くの個性的な生徒が在籍していたことが挙げられます。中には学校で問題児と扱われていた子たちもいました。しかし塾では問題児どころか本当に皆よく言うことを聞き、真剣に自分自身を高めようと取り組んでいました。私にはそれが誇りでした。彼らももともと頑張りたかったのです。彼らは彼女らはよく泣きました。私も体を張って本気で彼らと向かいました。
ところが私が誇りにしていたそのことが「あそこには不良が多い」と悪い噂になって耳に入ってきたときはさすがにショックでした。でも内情を知らない外からはそう見えても仕方なかったのかも知れません。たしかに問題児と言われるがままに頑張れず塾を去ってしまった子たちもいました。
さて、問題児と言われていても周囲の理解力がないだけで、筋を通していけば逞しく良い子もいる一方で、ブレーキが効かずあおのまま本当に問題児のままの子もいます。その差はいったいどこから生まれるのでしょうか。
私は、ずばり家庭内の「父親の存在が濃いか薄いか」が大きな分かれ目であると思っております。また「濃い」であるにしても、父親の言葉で何を語ってきたかも忘れてはならない要素です。また現代は片親家庭も少なくありません。それならば母親がまた周囲の環境がどれだけ父親役を演じれたかということになると思います。
家庭が一緒になる時間、理想は夕食時です。まず例えば、夜七時と夕食の時間も決まっているべきですが、その時間に家族はご一緒でしょうか。繰り返しますが現代は多忙です。そうそう都合良くはいきません。しかし父親の存在が薄くなったということは家庭や家族というもの自体が薄くなったと言えるのかも知れません。子供は父親を見て、仕事や社会で頑張ることの貴重さを学びます。父親は仕事や生き方や善悪や大切なこと、そして働くことを自分の言葉で語り、自分の体で示すことが大切です。また子供の出来事や気持ちなどの言葉を聞き、それに答えるかたちで生き方や世界観を子供に伝えることが大切です。
最近の子供は何を考えているのかわからない、と世の父親はよく嘆きます。しかし子供が語りたかった時、そこに居なかったのは父親のほうかも知れません。わけのわからないテレビ番組の影響をたっぷりためこんだわが子の意味不明の価値観を嘆いても、その源は存在感が弱くなった家庭にあるのかも知れません。
安藤塾で、多くの問題児がみるみるうちに頑張れたケースを今になって回想するに、その時、私は良き兄貴分でありながら、父親を演じていたように思います。私の言葉で勉強に頑張る意味や生きていくことを、子供たちを納得させながら語れたことが、子供が変化していった大きな要因であったかと思います。また実の父親の奮起で子供が甦っていったケースもありました。
このように学力は集中力から、集中力は気力の充実から、気力の充実は生活力からです。
生活に関わる大切なことは他にもたくさんありますが、今回はこの辺で失礼します。

子供の気力の充実につながるひとつひとつ
●親が温和であること  ●時間にけじめがあること(食事・就寝・起床(自分で))
●家の中がいつも整理整頓されていること  ●食事中、テレビをみながら、だらだら食事をしないこと
●テレビの時間は決めること  ●家庭に読書習慣があること(雑誌でもよいので)
●窮屈でも親も行動に示しをつけること

第3回

 

ありがたく今年の受験も終わりました。そして新年度の春を迎えております。
さて今年の受験をまず大学受験からふり返ってみますと、結果を得るためにはやはり、「自ら歩む」「受験という孤独な戦いに心からハマれる」そのような心の逞しさを持っているかどうかが合否を決定する最大の重要要素になるということを改めて強く感じました。
他力に引っ張られるのを待つだけでは受かりません。大学受験は「週に何回かの塾」でどうなる相手ではありません。「それ以外の日、それ以外の時間にどのような気持ちでどう過ごしているか、目標に対して純粋に自ら歩めているか」、その日々の自らの過ごし方にそれぞれの差があります。
辛い場面に遭遇すると、ひとは別の何かでそれを紛らわしたり、励ましあいを越えた傷のなめあいによって逃げる自分を正当化していく傾向があります。目標を見据える眼差しから、つい目が辛さの方へ向いてしまうからです。けれども勉強を続けなくてはいけませんから、いつしか目標実現への強い気持ちの充実した勉強から、辛いけどやらないかんからやる勉強へと変容し、目標を見据える眼力も弱まっていきます。悪循環でそうなると不安も増幅し、癒される何かで辛さを紛らわしながら戦います。それでは結果も出にくくなります。大学受験は腹の底から力を出さないと受かりません。いつでもそのような自分で受験期を居続けること、そして腹の底から戦うことを教われる人生の先輩の近くにいることも大切です。一発勝負の大学受験は数字や駆け引きに振り回されて大切なことを忘れてはいけません。腹の底から力を出すための心もちを学び、その心もちを保てるための指導者につき、その心もちでトレーニングを継続していくことが大切です。自らの生きる道として選ぶ大学に対するトレーニングは、本来辛いはずはなく、それに至るトレーニングは充実した楽しいもののはずです。そのようにとらえている子、そしてどこかで大学生活をイメージしながらそれを楽しめている子、その子の逞しさで結果が明らかに違ってきます。『あきらめない・めんどくさがらない・逃げない・ごまかさない』といった言葉の実行動が合格の最大の要素です。その在り方を無理やり自分に言い聞かすのではなく、自然にできる子は100%に近い確率で大学に合格していきます。そしてこのような姿勢の獲得は普段の生活=その子の育ってきた日々の中で成長してきているものであるともいえます。
『自分を持っている子・自分に逞しい子・逆境に強く打たれ強く粘り強い子・信念の強い子』大学受験の成功はそのような人間性によるものでもあります。そしてその人間性の獲得は、小さい頃からの成長過程で、本人が程よい厳しさの中で自ら自信を育んできたかどうかに関わっているとも言えます。
言うまでもなく年齢が小さい子の教育は、本人の好き嫌いで行動を決めさせるべきではありません。好き嫌いの感情はあれど幼少の頃は総合的に偏りなく基礎を学ぶべきであり、その中で、好き嫌い関係なくするべきことは素直にすることの律を学びます。そのするべきことはする素直さも、逃げない心の主たる要素になりえます。そしてその教育の根幹はもちろん大人が見本を見せていくことです。
教育の基本は大人が背中を見せることです。
さて高校受験に話を移します。まず3月の入試だけが高校受験ではありません。無事に1年間を良い状態で乗り切れるかどうか全てが高校受験です。
中3生の夏は危険です。生活が一気に乱れるケースが少なくありません。高校受験成功の最大の要素は、生活の乱れを許したか許さなかったかの差ともいえます。ある程度一定の生活リズムをキープさせることは重要です。つまりキープさせられる親であり続けることがもともとの大切な要素です。ご存知のことと思いますが受験には中学校の内申書が大きく影響してきます。その内申書も日頃の提出物、授業態度がテストの結果と同等の意味を帯びてきます。時間を守れない・プリントを失くす・先生の話を聞かないといった源は、家庭の中に置き換えると、朝ひとりで起きてこれない・弁当箱をすぐ出さない・服が脱ぎっ放し・戸を開けっ放しなど生活の隅々の習慣づけの見直しといったことになります。このようなことに家庭内でどれだけの指導力を親が持っているのか?そこが非常に大きな問題となってきます。冬場になれば、どの子も慌ててきますから、こちらも心からの熱意で指導にあたり、なんとかみんなの結果につなげていきます。けれども普通のことを普通にすることがホントは一番受験を楽にするコツなのです。勉強だけではありません。日々の生活です。自分たちの子どもの頃もそうでしたが、口先ばかりで行動の伴わない大人の小言を子どもは嫌がりますから、教育の基本は体で示すことでもあります。
中1・2の年代はある意味でいつも大人の様子をうかがっています。どこまで生意気なことが言えるか?生意気な態度がとれるか?その線引きのレベルをいつも心のどこかでうかがっています。だからこそ早めの大人のはっきりとした態度が必要です。「ここまではいい・ここからはこういう条件ならばいい・ここからはいかん」、日頃から子どもにはっきり示したり、また話し合い納得させながら決めていきます。なしくずし的にいつのまにか許されていくのが最悪です。親の値打ちも家庭内指導力・教育力も下がります。
小学校高学年も中1・中2と同じことが言えます。
小学生に対する大切な教育のひとつに、「家の仕事の手伝いをさせること」があります。
それはがんばる大人の背中を直に見せられるからであり、子どもたちもがんばる家族をリアルに感じられるからです。子どもに対する親の指導力・教育力を高めるための重要なステップです。会話の共有、作業の共有は小学生にはとても重要です。その中で子どもたちは精神的なたくましさも伸ばしていきますし、そのような子は、勉強もスポーツもがんばりがきいてくるのです。
子どもたちは、親の言葉と親の背中から学びます。そのことの影響力はとても強いものがあります。日々の生活の中で子どもたちの心が何を感じ、生き方をどう学んできたのかが、小→中→高となるにつれどんどんそれぞれの形として現実的な状態に表れてきます。
そしてそれは特に、根源的ながんばりを要求される受験期などにはよりリアルな形となって現れます。
子どもたちの成長のある時点からその子に関わらせていただいた私たち塾は、それぞれの子どもたちに与える『言葉と行動』に気持ちを込めます。家庭と共に教育をさせていただく立場となったからです。子どもはある年齢から、家庭だけでは育ちません。家庭外の教育も様々な意味で必要になってきます。けれども家庭外だけでも育ちません。その子を取り囲む環境全てがその子への教育となります。常に家庭と家庭外の良い言葉と良い教育力があって、子どもは自然と伸びていくんだと思います。

第4回

 

塾をやっていて、つくづく思うのは、頭がいいとかわるいとか、本当にそんな差などほとんどないということです。たとえば基本的なケジメや集中力がどれほど身についているのか?生活習慣にメリハリがついているのか?そういったことがものごとの達成結果に直接関わってきます。子供にいい環境や生活習慣を提供・提案・指導・実践していくことが、子供自身何事においても伸びる土台を形成していくことになります。
そしていい環境さえあれば、あとは動機づけをすることで、子供とは自然に伸びていくものだという真実を、毎年実感できます。
さて、いい環境とは、その子にかかわる大人とりわけ親の子供に対する幼児期からの関わりが占めるウエイトは大きいと思われます。
たとえば、いつ叱り、いつ誉めるのか?行き当たりばったりの曖昧なものではなく筋が通っていること。言葉による子供への納得、そして明瞭な叱る理由と誉める理由、それが一貫していることは大切です。
「今度同じことがあったらご飯は一日抜くからね。」もし親がそのように子に持ち掛け、子がそれをしっかり受けとめた上で了承したならば、後日その状況に出くわしたときには、もちろんかわいそうでも基本的には一日食事を抜くべきです。約束させて、だめなものはだめという、叱る側の覚悟や、つまり親もいかに魂から子供と対峙しているかということは子供のケジメに直結します。この場合「食事を抜く」ことがポイントなのではありません。親の姿勢を子にはっきり示すという意味でポイントです。
子育ては親育てと言いますが、子に言うからには親もそれだけの姿勢を見せていくことはいうまでもありません。一人と一人としてのしっかりした関係をもって、子に胸をはれる親でありながら、子供に注ぐ愛情は常に「無条件」であれば、100%その子は何事にもすばらしい力を発揮していきます。それはその子自身が愛されている安心を持つことから、自身を持って挑戦でき、成功することをイメージしやすく、つまり自分の能力を信じながらコトにあたれるから、自ずとそれなりの好結果もついてくるからです。
親は年をとっても潜在意識は子供のままであったりします。そのことをしっかり意識出来ている親は立派な親です。責任感と強さと処世術は身につけますが、潜在意識は若い頃と、また子供だった頃とそうは変わっていないものです。それでもそんな自分との付き合い方を自分の生きてきた道の中で学んでいくでしょう。しかし、その潜在意識はあくまでも自分自身の問題なわけで、その解決策を結婚や子供に求めていけば、親自身、自分の小さい頃からの満たされない何かの解決のために相手に要求することも多くなり、「無条件の愛」とか「無条件の感謝」といったものから、どんどん離れていきます。子供は親のそのような状況と接した時、子供なりに親からの愛に不安を感じ、その親との上手な付き合い方をその後勝手に作り出し、思い込みます。たとえば親という脅迫者にたいして従順でいることが得策なのか、傍観者でいることが得策なのか、みずから親にたいして子供である自分自身が脅迫者になってしまうことが得策なのか、親の顔色をみてどう懐にすべりこむのが得策なのか。
ある意味子供も親を手のひらの上に乗せているケースが生まれます。お互いに自立が出来ていません。これは大小あれど、人間の性と言いましょうか、万人に避けられないことであるかも知れません。この状況からの回避は非常に難しいことです。ですから大切なことは何にしても意識していくということです。ふとした思い方の癖とはすなわち無意識ですから、やがては意識することで緩和されるものです。もちろん思い方の癖には原因があるわけで、それは自身の自分史の中に本来答えはあるはずです。もちろん親も昔は子供だったわけで、生まれたときから親をしてるわけではありませんし。
さて、気力の充実とか生きる力とか、そういったことは人生の財産と言えます。それを育むのは家庭からが基本です。そして思春期になってくれば彼ら彼女らに憧れられるまわりの指導者たちの役目もあると思います。指導者は人間的に憧れられることが大切です。この人のように生きたいと子供に思われることも大切です。そのことで子供の耳も開かれ、吸収もよくなります。ちなみに小学生にはおもしろい指導者楽しい指導者、中学生にはその上人間としても魅力的な指導者、そして高校生には人生を切り開く見本となるような指導者がベストといえるのかもしれません。そんな指導者であることも指導者の責任ですし、大切なことはその上でよく導いていくことであります。小さいころからの躾の蓄積、やがては指導者と出会い、一人の子供には成長に比例しながら、サマザマな要素が絡みはじめます。その源は常に生活習慣と親の姿勢。一生勉強とは本当だなと思います。

みんな自分が大切です。自暴自棄になってる人も本当は自分がすごく大切なはずです。
みんな、ちょっとしたことで幸せになれるチャンスがあっても、自分と向かい合わず、何も変えようとしていないままに、時代や周囲の不足不満を嘆き、時間だけが過ぎ、半ばあきらめて、けれども半ばひそかに夢をもち、とにかく毎日を、人によっては主体的に、また受動的に生活していく現実と取り組んでいます。

  けれど自分の人生の主人公は自分。まず自分を高めること、そのいい影響はかならず周囲に伝染していくはずだと思います。家族の幸せ、世の中の幸せ、世界の平和、どんどん大きいことを言う前に、まず自分が幸せな思い方のパターンを獲得するために、自分自身と向かい合うことが大切なんだと思っています。

第5回

 

「むり、できない」が口ぐせの男の子がいました。何をするときでも、取り組む前からあきらめてしまい、やろうとしない、勉強もついていくのがやっと。気に入らないことがあるとすぐに学校を休んだり、塾を休んだり、親もおろおろするばかり。
親のこの姿勢こそが問題なのだと思いました。ダメなものはダメ、やるべきことはやると毅然とした態度で接するように進言しました。塾への相談の電話も「この前電話があったことは子供には内緒にしておいて下さい。」といった調子です。親のその気持ちもわからないではありません。けれども、状況を本当に変えたいならば、親も本気で変わらなければ子も変わりません。立ち向かわなければいけないと思うのです。
某教育書にあった一つの事例ですが、まず父親が休みの日の朝、その息子と一緒に走ることを継続したとのことです。それによって子供も体力がつき変化していったとありますが、やはり大きかったのは親も一緒に体をはって頑張ろうとした姿勢を子供が目の当たりにしたことではないでしょうか。すべからく、「相手を変えたいならばまず自分から」とありますが、親が本気で変われば、子供も劇的に変わるのです。

このままの日本ではまずい、と各方面からの声は絶え間なく高まる一方です。こと教育においてはその危機感の高まりも聞こえはじめて久しくなります。その間、学校週五日制や指導要領の改正、またNPOをはじめとする民間教育の公的機関への参入に関わる種々の制度改正が施行されても、現場末端までの浸透性に欠けているということに他なりません。外側からのケアや手入れをしても、内面からの変化がなければ、状況は美しく変わっていかないものです。

僕はこれからの日本そして教育を良い方向に変えていくならば、内面からの変化を軽視してはもう前に進めない時代が来ていると思っています。そして内面からの変化とは何をさすか、といえばそれは「生活習慣」そこから得られる「生活への意識」ではないかと思います。
共同生活のルールが守れない大人が急増しています。運動会ではわが子しか見えずに、立入禁止区域まで平気で入り込んでいるビデオカメラ隊、わが子大事が先に立ち平気で子供の前で他の大人への不平、悪口を言う親、うまくいかないのは自分以外の環境に原因があるとして不満をもち、ときには攻撃します。大人になると自分が変わろうとは中々しません。それでも子供に変われ変われと言います。ものごとには原因があって結果があります。原因と向かい合いながら、親も本気で変わる姿勢があって、子供も芯から変わり始めるものです。日本はコンビ二全盛時代ですが、コンビ二の惣菜のような手軽でその場しのぎの特効薬は教育にはありません。教育の根本は相互教育です。学校教育でも民間教育でも家庭内教育でもそれは同じことだと思います。親も子も勉強し変わっていかねばなりません。
およそ民間教育機関として塾で子供たちを導く立場の言葉としては、違和感を感じさせるのかもわかりません。けれども、「生活改善なくして学力向上なし」ということも真実であると思うのです。

安藤塾という塾は学力指導をしながらも、何よりも勉強第一だから一にも二にも勉強という意識向上ではなく、人間として自分にあきらめない取組む意識の向上を折に触れ「生活改善」と交えながら、授業空間の中で演出して、子供に伝えようとしています。みんながみんな医者や弁護士になるわけではありません。またなればいいとも思いません。医者や弁護士でもいいし、ラーメン屋さんや車の整備士さん、すべてが人に幸せを与えるすばらしい仕事です。みんなの幸せのためになるさまざまな仕事があって世の中は成り立っています。子供たちはこの先どの分野でみんなの幸せのために世の中に貢献していくのかはわかりません。けれども基礎づくりの今だから、みんなにとって真の意味での幸せへの財産が形づくれればと思って指導しています。その財産とは「生命力」のことです。あきらめずに取組む意識、精神の強さです。そしてその精神の強さは、安定した精神と体力の基盤があって初めて発揮されるものです。そして安定した精神と体力の基盤の源は毎日の生活すなわち家庭です。

安藤塾が週に何回かお子さんとお会いさせていただく中で伝えていけることは一生懸命伝えていきます。心に語りかけ、また意識がいい風にかわっていけるための進言は心をこめて伝えます。そしてもちろん塾である以上、学力指導が基盤であることは言うまでもありません。成績上の不安を減らしていく、そして各々の目標を達成していけるための学力指導を第一に意識して取組んでいます。しかしさらに学力指導を通した向こう側に、勉強も楽しく出来ること、なぜならがんばることは楽しいかずだから、チャレンジすることは楽しいはずだから、ちっちゃな子供だったころ、些細なことに単純にチャレンジすることは楽しくてしかたなかったはずだから、つまり生きることは楽しいはずだから、そんな気持ちを思い出として、また体に実感として残せるようにこちらも体をはって伝えていきたいと思っています。そして、一緒に先生たちも成長させていただきます。
楽しく、本質的に、幸せのために生きていく自分の背中を、自信をもって生徒に見てもらえるように、そんな自分になれるように。

教育は相互教育。自分も成長しなければ相手も成長しません。
自分が変わらなければ相手も変わりません。
(変えたい相手のできてないところは、自分もできてないのかもしれません。)

第6回

 

今回の「ANJの樹」は安藤塾長の印象深いある日の日記を紹介します。
今から七年前、安藤塾長二十九才のある秋の日でした。

一九九八年十月二七日

今日の夜中、腹をすかして一人で歓楽街の小さな寿司屋に入った。カウンターだけの小さな寿司屋は大将とその奥さんの二人でやっているようだった。そして客は僕一人だった。
店の小さなTVではルワンダの部族間抗争についてのドキュメンタリー番組が淡々としたナレーションと共に映し出されていた。
僕は疲れた体で、はりきってネタを吟味する余裕も、よくわからないネタを知ったかぶりで注文する余裕もなく、
「素人でよくわからないんで、大将のこれなんかどうだと思うのを握って下さい。」
と少しばかりの勇気を出して正直に言った。
大将は何も言わず黙っていた。奥さんが「いや、でもここに並んでいるネタを見て・・・」 と言いかけたとき、 「いやいいんだ」 とまるでお前は黙ってろと言わんばかりに、大将は奥さんを遮り、目を輝かせ始めたように僕には見えた。 僕は直感で大将と「気が合うな」と思い、あとは黙って、大将の握る寿司をただ待った。

「生きる権利は皆にあるんかね?」
唐突のことで僕はびっくりした。大将が僕に問いかけてくる。
「宗教の違いとかいろいろあるけど、こいつら殺しあっとるけど、生きる権利は皆にあるんか、ないんか・・・」
それから大将はいろんなことを言った。北朝鮮に存在の意味はあるんか?ホームレスは生きる権利を主張できるのか?などなど。
それぞれの問いかけに対する明確な意見を僕は持っていた。でもどの程度相手が真剣に 問いかけてるのかが見えなかったので、僕はあえて自分の意見を主張することをしなかった。主張し始めると僕も真剣になり始めるからだ。 けれどもやがて大将はこう言った。
「おれの最大の疑問はなぜおれがこうして生きているのかっていう意味なんや。」
この時点から僕は、流すやりとりじゃないと感じた。そして、主張し始めた。

『「生きる」って言っても、みんな一人で生きている気になっても、絶対だれかのおかげで生きていますよねぇ。当たり前のように車に乗って、家帰って冷蔵庫開けてますけど、車のことが得意な人、冷蔵庫作るの得意な人のおかげですよねぇ。その人らのおかげですよねぇ。細かく言い出したらのことですけど。でもそういう誰かの恩恵の中で生きてますよねぇ。こうして仕事を終えて、疲れて立ち寄った寿司屋に僕もすごくおいしい寿司で満足させてもらえましたし・・・。車作る人と冷蔵庫作る人と寿司作る人は同じ人じゃなくてもいいですよねぇ。それぞれがそれぞれに得意な人がその道で、つまり自分にとって一番人に喜んでもらえる道で生きていけばいいですよねぇ。そして、自分も世の中の何人かの人のおかげさんで喜びを持って生きていられる・・・。僕は少なくとも、今、大将のおかげで喜べました。また明日自分も自分の道で何人かの人に喜んでもらおうというリフレッシュになったし、また僕が喜んでもらおうとするその人らもまた、それぞれにそれぞれの得意の道で、自分の周囲に働きかけてく・・・。その流れの中にいるとき、十分生きとる意味あると思うんですけど。』
生徒の悩み相談の際、よく生徒に間接的に言うことと同じようなことを僕は答えた。

大将は僕の話を聞いて、すごく喜んでくれた。ありがたがってくれていた。僕はそんな大将を見て、すごく喜べた。誰かに喜んでもらったことで、自分も喜べた。僕に喜びをくれたそんな大将こそ、僕にはありがたかった。
結局は、僕の生きるエネルギーに大将は力を貸してくれた。でもそのことに大将は気づいていないだろう。今日も「俺の生きる意味は・・・」と言ってるのかもしれない。でも、大将のあの素直な心と、向上心がある限り、大将は多くの人を喜ばせていくだろうと思った。

第7回

 

今日は一つの詩を同封します。

人生いろいろなことがありますが、どれもこれも「勉強」と思えば、わるいことなど存在しないと言えるのかもしれません。 だれでも自分が成長するためのいろんなことがあるから、いろんな不安や不満があり、ある程度はわりきりながら、けれどある程度はわりきれずに、いつも心の中は大忙しです。
どれもこれもすべて「自分の学びのためのレッスン」と思えば 不安や不満を通り抜けて前を向けるのかもしれません。 なかなかそうは思えないものですが・・・
そう思えるように自分を磨いていくしかないのかもしれません。

20歳すぎごろ思ったことです。
「自分の父と母に本当に冷静に『自分を生んでくれてありがとう』と100%の気持ちを持てたなら『こわいものなし』だろうなー。」 そんなことを前から思っていました。 そんな気持ちでいれたら、ものすごく自分自身成長するだろうなあと。
けれど実際に生活してくればいろんな不安、不満ができてなかなかそんな気持ちになるのはむずかしいことです。

逆に、「親が子を想う気持ち」もそうだと思います。
子に対して本当に純粋な「無条件の愛」で満たされていれば本当にトラブルはないんだろうなあと。
北風と太陽の寓話じゃないけれど トラブルにならないようにとか、親の思う子にならないからとやんややんや言っても言っても、それがどんどんトラブルになっていったり、 子も親も精神を消耗しきってしまって・・・。
トラブルがあるのは結局、親に「無条件の愛」を思い出させるための子からのレッスンじゃないかとさえ思います。
それならばいつも同じパターンのくり返しならば、いっそ考え方を転換させないと 目の前の景色は変わっていかないのじゃないかと・・・。
また、子供も一人前になろうという思春期ほど親への不満を探し出してあらわにしますが、 もともとはこの詩にあるような想いでこの世に生まれてきたんじゃないでしょうか。

もちろん、詩と共に様々な状況が変化して、世の中は「無常」であります。
けれど元来、親子は純粋な「無償の愛」でつながった関係であることは「不変」であります。

不変がぶれると コンパスの針はぶれ 親子の円はつながらず 円は乱れます。
いろんなことがあり、円の半径も、伸びたりちぢんだり・・・。

けれど中心だけはぶれないように・・・。これがむずかしいことなのでしょうが・・・
まずは意識することが大切なんじゃないかと思います。

わたしがあなたを選びました。      鮫島浩二・作

おとうさん、おかあさん
あなたたちのことを こう、呼ばせてください。

あなたたちが仲睦まじく結びあっている姿を見て、わたしは地上に降りる決心をしました。
きっと わたしの人生を豊かなものにしてくれると感じたからです。

汚れのない世界から地上に降りるのは勇気がいります。
地上生活に不安をおぼえ、途中で引き返した友もいます。
夫婦の契りに不安をおぼえ、引き返した友もいます。
拒絶され泣く泣く帰ってきた友もいます。
あなたのあたたかい懐に抱かれ、今 わたしは幸せを感じています。

おとうさん、
わたしを受け入れた日のことをあなたはもう思い出せないでしょうか?
いたわりあい、求め合い、結び合った日のことを
永遠に続くと思われるほどの愛の強さでわたしをいざなった日のことを
新しいいのちのいぶきをあなたがフッと予感した日のことを
そうです、あの日 わたしがあなたを選びました。

おかあさん、
わたしを知った日のことをおぼえていますか?
あなたはとまどいました。
あなたは不安におそわれました。
そしてあなたはわたしを受け入れてくださいました。
あなたの一瞬の心のうつろいをわたしはよーくおぼえています。

つわりのつらさの中で
わたしに思いを向けて自らを励ましたことを
わたしをうとましく思いもういらないとつぶやいたことを
わたしの重さに耐えかねて、自分を情けないと責めたことを
わたしはよーくおぼえています。

おかあさん、
あなたとわたしはひとつです。
あなたが笑い、喜ぶときにわたしは幸せに満たされます。
あなたが怒り、悲しむときにわたしは不安に襲われます。
あなたが憩い、くつろぐときにわたしは眠りに誘われます。
あなたの思いはわたしの思い
あなたとわたしはひとつです。

あかあさん、
わたしのためのあなたの努力をわたしは決して忘れません。
お酒をやめ、タバコをさけ、好きなコーヒーも減らしましたね。
たくさん食べたい誘惑と本当によく戦っていますね。
わたしのために散歩をし、地上のすばらしさを教えてくれましたね。
すべての努力はわたしのため、あなたを誇りに思います。

おかあさん、
あなたの期待の大きさにちょっぴり不安を感じます。
初めての日に わたしはどのようにむかえられるのでしょうか?
わたしの顔はあなたをがっかりさせるでしょうか?
わたしの身体はあなたに軽蔑されるでしょうか?
わたしの性格にあなたはためいきするでしょうか?
わたしのすべては神様とあなたたちからのプレゼント
わたしはこころよく受け入れました。
きっとこんなわたしが いちばん愛されると信じたから

おかあさん、
あなたにまみえる日はもうすぐです。
その日を思うとわたしは喜びに満たされます。
わたしといっしょにお産をしましょう。
わたしがあなたを励まします。
あなたの意志で廻ります。
あなたのイメージで降りていきます。
わたしはあなたをこよなく愛し、信頼しています。

おとうさん、
あなたに抱かれる日はまもなくです。
その日を思うとわたしの胸は高鳴ります。
わたしたちといっしょにお産をしましょう。
あなたのやさしい声がわたしたちに安らぎを与えてくれます。
あなたの力強い声がわたしたちに力を与えてくれます。
あなたのあたたかいまなざしがわたしたちに励ましを与えてくれます。
わたしたちはあなたをこよなく愛し、信頼しています。

おとうさん、おかあさん
あなたたちのことを こう、呼ばせてください。
あなたたちが仲睦まじく結び合っている姿を見て、
わたしは地上に降りる決心をしました。
きっと わたしの人生を豊かなものにしてくれると感じたからです。

おとうさん、おかあさん、
いま わたしは思っています。
わたしの選びは正しかった と。

わたしがあなたたちを選びました。

 
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